◆阪神・淡路大震災救援活動
ここは兵庫県災害対策本部救援物資備蓄基地となっており、大型トラックが数珠繋ぎとなっていました。大型トラックで入ってくる救援物資は、人手が圧倒的に足りない状況で、学生たちは、自衛隊・消防と一緒に作業を行いました。物資は大量に入ってくるものの、配送するトラックが全くない状況でした。
翌日情報収集に神戸市内に行き、公園やグランドで生活している人に、物資を至急届けなければならないことを確認し、即刻、東灘区の本庄中学・灘区の聖徳小学校・長田区の長田高校に5名ずづ派遣し、被災者に対する直接的な救援活動を行いながら、近くの避難所や公園を周り、足りない物のオーダーを聞き、本部から、交通渋滞のない、夜間10時位にトラックに物資を積み、各オーダーを受けた避難所に配送しました。
食事は食事当番が3食自炊し、日中は物資の積み卸しや仕訳作業を行い、夜の配送が終わるのは、午前3時から4時。時々雪が舞う山の中でのテント生活は、毎朝起きると、テントの中の飲み水が凍っていました。男子も女子も10日間一回も風呂にも入らず、1日3〜4時間の睡眠で、誰一人として病人がでませんでした。これは、あまりにも現実離れした光景が目の前に起こっていることへの恐怖感と緊張感、そして何かをやらなければならないという使命感が彼らを支えたのだと思います。人間の持っている潜在的な精神力と体力に驚かされました。また、色々な大学から、たくさんの学生がボランティアで来ました。彼らは、食料も寝る所もないので、私たちと活動を共にしました。しかし、その学生は、1日か2日でいなくなりました。直接の災害現場ではなく、被災者の顔の見えない場所での作業は、私たちが奥尻島で感じたことと同じ心境であったのだろうと思います。
■救援物資全国からたくさんの救援物資が届きました。その配送や仕訳作業を行っているとき、被災者に対して心温まるメッセージが同封されている物もありました。その一方で家庭にある不要物を送ってきた人もいました。たとえば、カビの生えた靴、割れた食器、破れた洋服などです。
救援物資は基本的に、災害直後に必要な物と、その後必要な物がありますが、個人の救援物資は、災害直後には配る方法がありません。水筒にお湯を入れて送ってきた人がいましたが、気持ちは分かりますが現実には役に立ちません。また、送られてきた段ボールが直接被災者に届くことはまずありません。送られてきた段ボールは、開封され中身を分類します。たとえば子供服の場合、まず男女、乳幼児、幼児、児童と分類し、次に上着・下着と分類し再び段ボールに梱包します。このことは、大量の救援物資を、誰かが整理をしなければならないということです。ケースバイケースでしょうが、個人の救援物資はその整理に大量の人手が必要となりますので、義援金が一番効果的であると考えます。
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■ボランティア・マニュアル 余談ですがボランティに行った者が社会復帰をするためのマニュアルが「アメリカ赤十字社」から配られていました。これは大変参考になりました。要するに、派遣に行った者は、異常な環境下にいるわけで、そのまま仕事や社会に復帰すると、現実の環境に対して、適応できないことがあります。たとえば「そんな小さなことで、ごちゃごちゃ言うな、災害現場では云々」などと話したり、家族に対しても同じように振る舞ったりする。家族は家族でいない間心配していたわけですから、突然災害現場の価値観で話をされても困るわけです。マニュアルには2〜3日ゆっくりと静養して、家庭や社会に復帰することがのぞましいと書いてありました。ボランティアに行くためのマニュアルは日本にもあるかもしれませんが、社会復帰をするためのマニュアルがあることにボランティアの先進国だと感心いたしました。 |
![]() (厚生大臣より表彰) |